学校長あいさつ             

                                                                         

                                                                            井澤 清史

山田第三小学校は、昭和49年4月に山田第一小学校から分離し山田地区の3番目の

小学校として開校しました。

広々とした運動場、校舎には大きな虹がかかり、プールの外壁には「まちなか水族館」

と題し山田地区の小学生が書いた絵が描かれ、一目で山田第三小学校だとわかる特色あ

る外観の学校です。

 令和3年度の山田第三小学校は、新入生58名と転入生4名をを迎えて、児童数311名でスター

トしました。一人ひとりの子どもを教育活動の中心に据え、子どもの笑顔と元気があふ

れる学校づくりに努めてまいります。

 

 

 

 


      -地域の皆様、卒業生の皆様、PTAOBの皆様へ- 

本校、第6代校長 井元 收先生がお亡くなりになりました。

 

  井元先生は、昭和49年(1974年)本校創立より教諭として7年間、後に平成元年より校長と

して4年間、本校の教育推進に力を注がれました。

開校にともない赴任されたのは30代半ば。当時の記録をみますと、高層団地の谷間によし

ずを張ったプレハブ校舎、体育館もプールもなく、運動場は銀行のグランドにロープを張って半

分借りたもの、そんな環境での開校だった、とあります。初代藤原校長の下、同時に赴任された

20数名の教職員の中心となって新しい学校づくりに励まれました。

 また、開校早々に発足されたPTAでは、教職員部の代表として、また書記として保護者の

方々と共にPTA活動に取り組まれました。PTAバレーボールクラブの生みの親は井元先生で

保護者の皆さんと練習に励み、5年後には監督としてニュータウン大会で優勝するまでのチー

ムに育てられたそうです。

 開校翌年の昭和50年(1975年)には、学校が中心となって地域の体育大会を開催、それを

きっかけに翌年山三地区体育振興会が発足、また公民館ができるまでは学校の会議室が地域

の会合場所であり、学校がまち作り、地域活動推進の一翼を担いました。その中心にいたのが

若き井元先生です。以来、山三地区は他にないほど学校と地域の結びつきは深いものとなり、

今に引き継がれています。

 私は、校長の井元先生しか存じ上げませんが、お会いすると、いつも温かい励ましの言葉を

かけていただきました。何かの会でご挨拶されるときは、いつも心に滲みるお話をされ、思わず

聴き入ってしまったものです。いかなるときも全ては子どものため、と子どもたち一人ひとりに深い

愛情を注ぎ、また、後に続く後輩教師を大きな温かい心で見守ってくださっていたと思いま

す。もっともっとお話を伺い、ご指導いただきたかったです。残念です。 

 20周年記念誌に寄せられた井元校長先生のことばを紹介させていただきます。創立42  

年を迎える今、地域のみなさま、保護者のみなさま、卒業生のみなさん、教職員、共々に先生

の生前の声に耳を傾ける想いで読ませていただきたいと思います。 

                                校長   花田 郁子  


創立20周年を祝して / 歴代校長

     第6代校長 井元 收

       創立20周年おめでとうございます。

       再度の勤務で、通年11年間お世話になりました。特に校長としての4年間は

    瞬く間に過ぎた感がします。

      俳諧の世界で「不易と流行」という言葉があります。山三小の20年を振り返って、

   その歴史を築きあげた先生方のおもい、こども達の努力に思いを馳せ、時代が、

    教育が大きく変わろうとしている昨今、変えてはいけないこと、受け継ぐべき伝統は

    何かを、改めて考える機会にしていただきたいと念じます。

       朝、運動場が狭く感じる程遊び、運動に興じるこども達と先生。昼、一斉清掃に

    汗する子ども達と先生、怪我した1年生を背中に背負う6年生。そんな日常の光景が

    浮かびます。

  「健康な心身、仲間をおもう優しさ、豊かな情操、勤労を尊び実践する意欲」をもった

   こども達は、創立時の学校の誇りでした。

   「不易」のものとして山三小のこども達が引き続き、益々の発展を祈念しております。