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新芦屋古墳―被葬者の謎にせまる―


春季特別展看板画像

新芦屋古墳は吹田市新芦屋町に所在する、7世紀初頭に築造された横穴式木室をもつ方墳です。この古墳は、昭和53年に調査がおこなわれました。墳丘は失われていたものの、発掘調査により埋葬主体部が横穴式木室であることや、馬具一式(大阪府指定文化財)が出土するなど、古墳の被葬者についてうかがい知ることができる資料がみつかりました。 特に、横穴式木室という木で構築された埋葬施設をもつ古墳は、全国でも類例は少なく、約117例が確認されているだけです。さらに、木室の埋葬施設に石棺を用いるのは新芦屋古墳の例、ただ1つとなります。今回はこの石棺を初公開します。 このちょっと変わった新芦屋古墳には、どのような人物が葬られたのでしょうか。新芦屋古墳出土資料を中心に北摂に分布する横穴式木室を紹介し、古墳に埋葬された被葬者について探ってみたいと思います。


〈凡例〉
〇このページは、令和3年(2021年)7月10日から同年8月22日開催、令和3年度(2021年度)夏季特別展「新芦屋古墳―被葬者の謎にせまる―」のバーチャル特別展示である。
○このバーチャル特別展の内容は必ずしも、夏季特別展「新芦屋古墳―被葬者の謎にせまる―」と一致しない。

 
  • 目次





第1章 新芦屋古墳

新芦屋古墳は、吹田市新芦屋上、千里丘陵上の 標高 52 mのところに所在した古墳です。淀川の沖積平野を みわたすと、その正面には弥生時代の拠点集落である東奈 良遺跡(茨木市)を望むことができます。 昭和 53 年(1978 年)11 月14 日に、宅地造成工事中 においてその存在が明らかとなり、発掘調査がおこなわれました。


発見当時の新芦屋古墳の景観(1978年現在)


新芦屋古墳の概要


 発掘調査では、すでに古墳の外形は失われていましたが、測量地形図から尾根稜線のやや平野側 に主体部を配置した方形墳と考えられています。埋葬施設は、「横穴式木室」とよばれる墓室を木で構築したもので、幅 2.6~3.0 m×長さ 4.8 m(現存している長さ)を測ります。奥壁は残念ながら既に破壊されており、墓室の全長を明らかにすることはできませんでしたが、推定では全長 6 mと考えられています。 墓室内には、組合せ式の横口式石棺(全長 2.11 m× 幅 0.83 m×高さ 0.87 m推定値)が、粘土に覆われ安置されていました。粘土を合掌形に積み上げ、その上 に垂木材を組むという他に例を見ないものです。 副葬品は、石棺内から金環、銀環、玉、直刀、人骨、 石棺外から須恵器、土師器、馬具が出土しました。 新芦屋古墳の築造時期は、出土した須恵器から 6 世 紀末~ 7 世紀初頭と考えられます。

出土遺物

            
三葉文楕円形杏葉     
輪郭が楕円形(長径10.8cm、短径8.2cm)で、三葉文を配した文様部をもつ、ほぼ同じ形、大きさの杏 葉が5 枚出土しました。製作技法は、鏡板と同様に楕円形の鉄製台板の上に同形の縁金と文様を打ち抜い た鉄製文様板を重ね、その上から全面を覆う一枚の金銅薄板を被せて銀被頭鉄笠鋲の繁打で鋲留していま す。釣金具は鉄地金銅張の方形(縦約2.3cm、横約2.0cm)で、同様に銀被頭鉄笠鋲を四隅に4 本打っ て革条に留めています。
組合わせ石棺:全景     
石材は、石質凝灰岩、火山礫凝灰岩(2種類あります)。産地は、大阪府と奈良県の境にある二上山ドンズルボー西麓と鑑定されました。
新芦屋古墳組合わせ石棺模式図  

組合わせ式石棺:展開配置図

新芦屋古墳の石棺は、組合わせ式といわれ複数の石の板を箱状に組み合わせたものです。特に奥の小口板はほぼ完全な形を保って出土しました。      

組合わせ式石棺:6角形(推定)のはめ込み板片

手前の小口板は穴が空いており、その穴を閉じる6角形(推定)のはめ込み板があったと考えられます。

第2章 横穴式木室墳―畿内周辺を中心に―

横穴式木室墳は、埋葬施設が横穴式石室と同じ、羨 道、玄室、袖から構成されていますが、石ではなく、 木と粘土で構築されたものを指します。 このような、横穴式木室墳は全国で約117 例の報告がありますが、その中には横穴式木室墓と 構造は似ているものの、横穴式木室墓とは呼べないものも含まれており、今後検討が必要です。 傾向として大阪府、静岡県、石川県を中心に分布し、岡山県、香川県、茨城県に及 びます。静岡県が最も多く、次に石川県、大阪府と続きます。 本展示では、新芦屋古墳が位置する摂津地域、和泉地域、北河内地域、播磨地域の横穴式木室墳を紹介します。


近畿地域の横穴式木室墳分布地図


和泉地域

陶器千塚21号墳:大阪府堺市中区陶器北     
陶器千塚古墳群は、総数95 基の古墳で構成されています。6 世紀前半から築造が開始され、7 世紀初 頭まで造営されました。これらのうち、陶器千塚1 号、7 号、21 号、29 号、93 号墳が横穴式木室墳です。 この古墳群の特徴は、横穴式石室を採用することはなく、埋葬施設は横穴式木室もしくは、木棺直葬で構 成されています。須恵器生産地に近く、陶邑との関係が指摘されています。

北河内地域

宇山1号墳:大阪府枚方市宇山東     
宇山古墳群は、2 基の円墳で構成されています。このうち、宇山1 号墳が横穴式木室墳です。宇山1 号 墳は、交野台地の北端に位置する7 世紀初頭の直径12 mの円墳です。葺石・埴輪・周溝は確認されていま せん。埋葬施設は、組合せ式の木棺直葬墓と横穴式木室墓が並列する、他に例をみないものです。 横穴式木室墓は、両袖式の横穴式木室で、玄室は4.5m、幅、2.8 m、玄門幅約1.3 mの木室で壁側に 幅20 ? 30㎝の溝が掘られ、その溝に50 数ケ所の斜めの方向に入る杭の跡がみつかりました。棺に火を かけた痕跡は見つかっていません。 横穴式木室の出土遺物には、須恵器や鉄鏃、馬具の他に銀象嵌鍔付大刀が副葬されていました。

北摂地域

西山古墳群(西山2号墳・13号墳・18号墳):兵庫県三田市けやき台     
西山古墳群は20 基の古墳で構成されます。6 世紀前半から7 世紀後半にかけて造営されました。このう ち、2 号墳、13 号墳、18 号墳が横穴式木室墳です。築造の順番は、出土須恵器から6 世紀末に18 号墳が、 その後あまり時期差をもたずに2 号墳が築かれます。7 世紀前半から中頃に13 号墳が築かれ、7 世紀後半 まで追葬がおこなわれます。
平方古墳群(平方1号墳・平方2号墳):兵庫県三田市けやき台     
平方遺跡群は、西山古墳群の北約4 キロの位置にあります。弥生時代中期後半から戦国時代の遺構が 見つかっています。このうち、古墳時代の遺構は、須恵器窯跡群・工房・古墳群がみつかりました。平方古 墳群は2 基の横穴式木室墳で構成されていますが、墳丘などの形状や規模は削平によりわかっていません。 平方窯産の須恵器が西山古墳群で出土し、平方古墳群にも2 基の横穴式木室墳がある点などから、2 つ の古墳群は関係性があると考えられます。

上寺山古墳:茨木市中穂積     
上寺山古墳は、1961 年(昭和36 年)に、緊急発掘調査がおこなわれました。墳丘の形状はわかってい ません。木室の規模は南北に4.2m、東西に3m を測ります。木室は火化をおこなっています。
上寺山古墳出土 馬具     
馬具は、鐙に関連する資料と、轡がみつかっています。轡は素環鏡板付のものです。上寺山古墳か ら出土した馬具は、馬を制御するための基本的なもので、馬を飾るためのものではありませんでした。 製作方法も高度な技術は使われていないようです。この馬具は、第1号木棺に埋葬された被葬者が普段使用していたもの、もしくはこの馬 飼いの集団が製作をしたものと考えられます。

播磨地域

名草古墳群(3号墳・4号墳):兵庫県加東市上三草     
名草古墳群は標高110 mの尾根部と谷部が入り込んだ、高位段丘末端部に築かれています。合計28 基 の円墳で構成され、このうち3 号墳と4 号墳が横穴式木室墳です。4号墳が3号墳より先に築造されています。

横穴式石室での火化(火葬)例

高塚山8号墳:兵庫県神戸市垂水区多聞町     
高塚山古墳群は、福田川と伊川の間にある丘陵上に築かれた、15 基の古墳で構成された古墳 群です。6 世紀後半から築造が開始されました。埋葬施設は、神戸層群の凝灰質砂岩を用いた、 横穴式石室です。これらの古墳の中で、8 号墳が火化をおこなっています。

第3章 被葬者像にせまる

この章では、新芦屋古墳の被葬者がどのような人物だったのか考えてみたいと思います。。


馬の生産

玉櫛遺跡:大阪府茨木市玉櫛     
玉櫛遺跡は、茨木川と安威川によって形成された沖積平野に立地します。古墳時代の遺構は少ないなが らも6 世紀中頃の土坑内から、土器とともに木製鞍や馬骨が出土しました。木製の鞍は、強度のあるツバキ 属の木材でつくられ、使用痕が認められます。この地域での馬の飼育が想定されます。また、共伴する土 器の中には、千里古窯跡群の須恵器が見つかっています。

被葬者像

    
渡来人がもたらした、須恵器の生産や馬の生産は国における、重要なプロジェクトでした。そのような、 重要な生産地において、新芦屋古墳のような階層性の高い副葬品や石棺をもつ古墳の被葬者は、その生産 集団を束ねる首長として、政権のなかでも重要な位置をしめて活躍していた人物であったことが想定されるの です。横穴式木室という内部構造は、支配下におく生産集団の来歴などの個性や特徴を表現し、墳形・石棺・ 副葬品は、政権での政治的な序列を表現していたという解釈を、推理の一つの答えとしておきたいと思います。

バーチャル・イベント

オンライン講演会

新芦屋古墳と古代嶋下郡のミヤケ
菱田哲郎氏(京都府立大学文学部 教授)

古代の日本において、律令制が出来る前の重要な制度と新芦屋古墳のかかわりについて、
古代嶋下郡のミヤケから新芦屋古墳の被葬者像にせまります。

横穴式木室と火葬―上寺山古墳を中心に―
清水邦彦氏(茨木市立文化財資料館 学芸員)

横穴式木室墳と火葬の関係について茨木市上寺山古墳を中心に紹介し、
新芦屋古墳の性格を探ります。





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