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10年ぶりの昆明訪問―雲南民族村と雲南省博物館

2019.6.25(火曜)

 

2019年6月6日から6月10日まで雲南省の省都昆明を10年ぶりに訪問しました。前回は2009年7月末に雲南大学で開催された国際人類学民族学大会(IUAES)でしたが、今回は雲南財経大学で開かれた国際工商人類学大会(ICBA)でした。規模からすると月とスッポン、10年前は約3000人、このたびは70人たらず、桁がちがいました。しかし、前回はたんなる参加でしたが、今回は招待でしたので、待遇がすこし異なりました。とりわけ院生が一人ついてくれたので、言語(中国語)に不自由なだけでなく歩行も多少困難な身にはとても助かりました。

工商人類学とはbusiness anthropologyのことです。基調講演のひとつを依頼され、The Making of a Japanese Textbook on Anthropology of Business Administrationというテーマで刊行ほやほやの中牧弘允・日置弘一郎・竹内惠行(編集代表)『テキスト経営人類学』(東方出版)について紹介させていただきました。講演直後、本書を中国語に翻訳したいとの申し出もあり、その刊行までには難航が予想されますが、うれしくおもいました。

大会終了後には主催者のはからいで雲南民族村への訪問がプログラムに組み込まれていました。入口の門は漢族風でしたが、園内には省内に住む25の少数民族の村が点在していました。電気カートに乗ってまず訪ねたのは傣(タイ)族の村で、伝統家屋の2階で踊りの実演を鑑賞しました。女性の踊りは手の振りがしなやかで優美であり、男性の踊りは勇壮な剣舞でした。背景の写真は仏教寺院を連想させるもので、タイ国とのつながりがおのずとわかりました(写真1)。


(写真1)

次に向かったのは佤(ワ)族の村。叩くことのできる割れ目太鼓が入口に置かれ、村内には水牛の角がおどろおどろしく飾られていました(写真2)。太鼓の音楽と水牛の供犠が祭りの中心であることが示唆されていました。


(写真2)

三番目の訪問先は納西(ナシ)族系の摩梭人の四合院(しごういん)でした。母系制をとる民族で四面を合わせた大家屋に大家族で住むと説明板にあり、中庭では男女の踊りが披露されていました。万国旗のような紙の飾りはチベット仏教の影響を受けていることを示し、トウモロコシ栽培もおこなっていることが歴然としていました(写真3)。


(写真3)

最後に訪ねたのは独竜(トールン)族の年祭です。チベット・ビルマ語系の「生きた化石のような言語」をもち、山岳地帯で孤立した生活をおくり、人口は6000人であると表示されていました。広場には高い柱が立ち、梯子で登るようになっていて、神との交流をはかるという口頭での説明がありました。歌舞音曲の披露の後、ひとりの若者が梯子をのぼり、観衆は下から見上げて写真におさめ、フィナーレとなりました(写真4)。


(写真4)

翌日は大会実行委員長である陳剛教授に雲南省博物館に連れて行ってもらいました。市街の建物に行ったところ、そこは美術館のみとなっており、新館はニューデリーならぬニュー昆明(中国名:昆明新)に移転していたことがわかりました。新館は2015年5月18日に落成したとのこと、昆明界隈の伝統民家である「一顆印」をデザイン化したものでした(写真5)。


(写真5)

人類の誕生から現代まであつかっていましたが、見ごたえがあったのは青銅器時代です。とくに牛、馬、虎のモチーフに感銘を受けました(写真6)。


(写真6)

意外だったのは漢から滇王に贈られた「滇王之印」が「漢委奴国王」の金印と比較されていたことです。しかし、わたしがめざしていたのは別のところにありました。

それは大理国の展示に「明治」の年号が見つかるのではないかという期待でした。というのも、森鴎外によって「明治」の年号は大理国でつかわれていたと指摘されていたからです。それはあっさり“発見”できました(写真7)。


(写真7)


(写真7の一部を拡大)

国王の段素英(統治期間:986-1009)は「明」の字にこだわりをもち、5つの年号の最後に「明治」をもってきたことがわかりました。わたしにとってはこれで十分、はるばる来た甲斐がありました。黄金に輝く仏像や王冠があちこちで目に入ってはきたものの、心は「明治」の二文字で満足してしまいました。

昆明は「一年四季如春」といわれ、市花であるブーゲンビリア(中国名:三角梅)が咲きほこっていました(写真8)。ブラジルではブーゲンビリアはプリマヴェーラ(春)とよばれ、春を告げる花なのですが、昆明では冬でも咲いているそうです。世界園芸博が1999年に開催され、アジア最大でオランダに次ぐ世界第二の花のマーケットがあるのも昆明です。何年先になるかわかりませんが、また行ってみたいものです。


(写真8)



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ミニ展示「『大宝』の発見~年号に問う吹田の歴史~」

2019.4.23(火曜)

 

新元号「令和」の発表にあわせ、当館ではミニ展示「『大宝』の発見~年号に問う吹田の歴史~」を開催しました。この機会に、年号をとおして吹田の歴史を問い直したいと思ったからです。会期は平成31年(2019年)4月4日(木)~4月17日(水)の2週間とし、特別展示室の約半分を利用し、『万葉集』の和綴じ本(関西大学図書館所蔵)以外は基本的に当館の所蔵品を使い、時間・空間・経費ともミニで開幕にこぎつけました。

吹田では最近、岸部南3丁目の中ノ坪遺跡から「大寶」(以下、大宝)と墨で書かれた坏(つき)の土器が発掘されました(写真1)。「大宝」は吉祥句ですが、大宝律令で有名な元号の「大宝」と関係するかもしれない出土品です。当館には人面土器を含む墨書土器がそれなりにありますが、施設名や季節などを想起するものが多くを占めています。大宝の年号のある木簡や金石文はこれまでも全国で多数発見されていますが、吉祥句としては全国的にも希有ではないかと推測されます。しかも、「大宝」から間断なく年号が使用され、「令和」で248番目となります。また、公文書には年号を記すようにと『続日本紀』に明記されていますので、その該当個所も展示しました。


(写真1)

吹田では「和銅」年間に鋳造された貨幣の「和同開珎」も神崎川の河川敷だった五反島遺跡で多数発掘されています。これもおなじ遺跡で出土した他の皇朝十二銭とともに並べました。「大宝」の坏や「和同開珎」は「出土した年号」というコーナー名をつけてガラスケースに収めました。

他方、紀年銘民具は露出展示としました。紀年銘民具とは製作者や所有者が年号を記載しているものです。今回は農具や瓦、桶や消防道具、銭箱や煙草盆、さらに太鼓などを選びました。製作者名のある農具はいわゆる「流通民具」とよばれるジャンルに属し、大都市近郊の吹田にはふつうにみられるものです。とはいえ、よりローカルに普及したものもあり、「茨木とおし」とよばれた組立式の万石とおしはその一例です。当館には現存する最古の「茨木とおし」があり、それを展示しました(写真2)。他方、所有者の名前が墨書などで記されたものは大切なものばかりで、消防用の龍吐水(りゅうとすい)には他人に貸してはならないと書き込まれていました。ちなみに、ここのコーナー名は「年号のある紀年銘民具」としました。


(写真2)

「見上げる年号―江戸から明治の高札」のコーナーには4点の高札(掲示板)を並べました。1点は江戸中期の「正徳元年」のもので、奉行・淀藩が出しています。残りの3点はいずれも「慶応4年」のもので奉行が太政官に変わっています。これはその前年の大政奉還をうけたものですが、キリシタンや邪宗門の禁制は維持されました(写真3)。そして慶応4年の9月に明治改元となりました。なお、干支でいえば「戊辰」に当たり、翌年にかけての戦乱は「戊辰戦争」(戊辰の役)と命名されました。


(写真3)


1970年の大阪万博では元号よりも西暦が突出して使用されたので、「西暦の突出―1970年大阪万博」というコーナー名にしました。「1970年のこんにちわ」と歌われた70年万博から本格的に西暦が使用されたのではないかという推測にもとづいています。当館には万博関連資料が大量に収蔵されていますので、そのなかから本、パンフレット、チケット、新聞、ウィスキーの瓶などをならべました。なお、昭和15年の紀元2600年(神武天皇即位紀元、皇紀)を記念し延期された万博の前売券も関連資料として展示しました(写真4)。70年万博でも通用したからです。


(写真4)

以上の4コーナーに加え、248にのぼる元号一覧表を作成し、使用された期間をしめすとともに、改元の理由も表示しました(写真5)。代始改元は71を数え、平安前期までは祥瑞改元に彩られ、それ以降は災異改元となることを示しました。また辛酉革命(しんゆうかくめい)と甲子革令(かっしかくれい)という易姓(えきせい)革命や讖緯(しんい)説にもとづく改元も平安中期から江戸時代まで若干の例外を除きまもられてきたことにも注目しました。


(写真5)

最後の目玉は、「令和」の出典であり、『万葉集』巻5の該当個所を展示しました(写真6)。その解説では、「平成」と「令和」が混じる一カ月(4月)を汽水にたとえてみました。つまり、水面は「平成」ですが、底流には「令和」が海水のように逆流している特異な状態にあることに注意を喚起した次第です。


(写真6)



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