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ミニ展示「『大宝』の発見~年号に問う吹田の歴史~」

2019.4.23(火曜)

 

新元号「令和」の発表にあわせ、当館ではミニ展示「『大宝』の発見~年号に問う吹田の歴史~」を開催しました。この機会に、年号をとおして吹田の歴史を問い直したいと思ったからです。会期は平成31年(2019年)4月4日(木)~4月17日(水)の2週間とし、特別展示室の約半分を利用し、『万葉集』の和綴じ本(関西大学図書館所蔵)以外は基本的に当館の所蔵品を使い、時間・空間・経費ともミニで開幕にこぎつけました。

吹田では最近、岸部南3丁目の中ノ坪遺跡から「大寶」(以下、大宝)と墨で書かれた坏(つき)の土器が発掘されました(写真1)。「大宝」は吉祥句ですが、大宝律令で有名な元号の「大宝」と関係するかもしれない出土品です。当館には人面土器を含む墨書土器がそれなりにありますが、施設名や季節などを想起するものが多くを占めています。大宝の年号のある木簡や金石文はこれまでも全国で多数発見されていますが、吉祥句としては全国的にも希有ではないかと推測されます。しかも、「大宝」から間断なく年号が使用され、「令和」で248番目となります。また、公文書には年号を記すようにと『続日本紀』に明記されていますので、その該当個所も展示しました。


(写真1)

吹田では「和銅」年間に鋳造された貨幣の「和同開珎」も神崎川の河川敷だった五反島遺跡で多数発掘されています。これもおなじ遺跡で出土した他の皇朝十二銭とともに並べました。「大宝」の坏や「和同開珎」は「出土した年号」というコーナー名をつけてガラスケースに収めました。

他方、紀年銘民具は露出展示としました。紀年銘民具とは製作者や所有者が年号を記載しているものです。今回は農具や瓦、桶や消防道具、銭箱や煙草盆、さらに太鼓などを選びました。製作者名のある農具はいわゆる「流通民具」とよばれるジャンルに属し、大都市近郊の吹田にはふつうにみられるものです。とはいえ、よりローカルに普及したものもあり、「茨木とおし」とよばれた組立式の万石とおしはその一例です。当館には現存する最古の「茨木とおし」があり、それを展示しました(写真2)。他方、所有者の名前が墨書などで記されたものは大切なものばかりで、消防用の龍吐水(りゅうとすい)には他人に貸してはならないと書き込まれていました。ちなみに、ここのコーナー名は「年号のある紀年銘民具」としました。


(写真2)

「見上げる年号―江戸から明治の高札」のコーナーには4点の高札(掲示板)を並べました。1点は江戸中期の「正徳元年」のもので、奉行・淀藩が出しています。残りの3点はいずれも「慶応4年」のもので奉行が太政官に変わっています。これはその前年の大政奉還をうけたものですが、キリシタンや邪宗門の禁制は維持されました(写真3)。そして慶応4年の9月に明治改元となりました。なお、干支でいえば「戊辰」に当たり、翌年にかけての戦乱は「戊辰戦争」(戊辰の役)と命名されました。


(写真3)


1970年の大阪万博では元号よりも西暦が突出して使用されたので、「西暦の突出―1970年大阪万博」というコーナー名にしました。「1970年のこんにちわ」と歌われた70年万博から本格的に西暦が使用されたのではないかという推測にもとづいています。当館には万博関連資料が大量に収蔵されていますので、そのなかから本、パンフレット、チケット、新聞、ウィスキーの瓶などをならべました。なお、昭和15年の紀元2600年(神武天皇即位紀元、皇紀)を記念し延期された万博の前売券も関連資料として展示しました(写真4)。70年万博でも通用したからです。


(写真4)

以上の4コーナーに加え、248にのぼる元号一覧表を作成し、使用された期間をしめすとともに、改元の理由も表示しました(写真5)。代始改元は71を数え、平安前期までは祥瑞改元に彩られ、それ以降は災異改元となることを示しました。また辛酉革命(しんゆうかくめい)と甲子革令(かっしかくれい)という易姓(えきせい)革命や讖緯(しんい)説にもとづく改元も平安中期から江戸時代まで若干の例外を除きまもられてきたことにも注目しました。


(写真5)

最後の目玉は、「令和」の出典であり、『万葉集』巻5の該当個所を展示しました(写真6)。その解説では、「平成」と「令和」が混じる一カ月(4月)を汽水にたとえてみました。つまり、水面は「平成」ですが、底流には「令和」が海水のように逆流している特異な状態にあることに注意を喚起した次第です。


(写真6)



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